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カテゴリ:コラム・随筆( 9 )

2012年 01月 02日
新年のご挨拶
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。
旧年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願い申し上げます。

あまりにも多くの出来事が生じた2011年。
2012年はよい年になりますように…と願うだけでなく、2012年をよい年にするように&できるように行動しなければと、改めて思います。


今年も昨年と同様に、宇治市・城陽市の地域紙、城南新報の元旦号用の写真を撮影させていただきました。
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撮影したのは木津川に架かる上津屋橋。上津屋橋というよりも、「流れ橋」という呼称で知られる橋です。
城南新報の元旦号の写真は、宮中歌会始の御題をテーマとしています。
今年の宮中歌会始の御題は「岸」ということもあり、このエリアで岸を感じさせる被写体としてこの橋を撮影対象とすることを予め決めていたのですが、昨年9月の台風12号の影響で橋桁が流され、橋脚も一部倒壊してしまいました。
撮影に向かったのは12月なので、元旦号に掲載する写真としてはどうなんだろう…?と考えながら、
損壊した橋を写すことになった次第です。
太陽の方位と角度を計算し、撮りたいイメージが実現できそうな時間帯に合わせて撮影に向かったものの、天候が悪くて思い描いたような写真は撮れず…。
それでも諦めきれずに2時間ほど残って、一瞬間だけ青空と陽光が顔を見せたところで撮影した写真です。

昭和28年の完成以来、幾度となく橋桁の流出を繰り返したこの橋は、その都度復旧して使用に供してきた歴史があることから、写真のキャプションには
  「流されても流されても再び岸と岸とを結ぶ木津川「流れ橋」」
と記していただきました。

復旧するまでは通行止めになる橋ですから、その間の不都合を勘案すると一見無駄・不合理に思える設計思想ですが、川の流れに抗うのではなく、受け流すことで、河川の氾濫に悪影響を及ぼさないような構造を採用したことは示唆に富んでいると感じます。
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by photomoments | 2012-01-02 14:08 | コラム・随筆 | Comments(28)
2011年 07月 08日
夏の戦いに向けて  被災地への思いとともに…
いよいよ今週末から、京都や兵庫でも選手権大会予選が始まります。
前回記事でも記しましたが、どの球場に足を運ぼうかと思案し続けていたのですが、先日、私がブログリンクしているseesway11さんのブログを拝見して強く胸打たれることがあったので、今回の記事を掲載することとしました。

東日本大震災からもうすぐ4ヶ月。
地震発生直後の大変な状況は脱したといえるのでしょうが、まだ行方不明の方も多くいらっしゃることや、瓦礫(人々の生活のしるしを「瓦礫」と呼ぶことに、私は些かの抵抗を覚えます…)が完全に片付いていないことなど、被災地に残された爪痕は深いと感じます。
それでも被災地の野球部が活動を再開した といったニュース記事や、東北地方各県でも選手権大会予選が始まることなど、野球部をめぐる環境は最低限整えられてきたのかな?と思える話題に接してきましたが…。

「復興の狼煙」ポスタープロジェクト という取り組みをseesway11さんのブログを通じて知り、ホームページを訪れました。
そこには、東京のカメラマンと盛岡の広告人が制作した、被災地で強くたくましく生きようとする人々の姿をとらえた写真と、1行に凝縮されたメッセージが大きく記されていて、胸が熱くなりました。
なぜ大変な環境下にあって、被災地を離れない人が多いのか。なぜ辛抱強く生きていけるのか。
そのような私の中の漠然とした疑問が、合計28枚のポスターを見ながら氷解していく気がしました。
なかでも、今回掲載させていただくポスターを見たときには衝撃すら受けた次第で、seesway11さん同様、このプロジェクト事務局にご連絡を取り、私のブログへの掲載許可をいただいて、少しでも多くの方の目に触れる機会となれば と思いました。
とりわけ、夏の大会を迎える野球部員や、その親御さんにご覧いただければ と思いました。

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(「復興の狼煙」ポスタープロジェクト より許可を得て転載しています)


「野球がしたいです、神様。」という作品。
私は野球を見る・撮る側の人間ですが、この作品を見て、野球ができること、野球を見れることのありがたさを強く感じました。
野球ができない、あるいは野球をあきらめてしまうような過酷な状況は、いまだ確実に存在するのだということも。

夏の大会は3年生の野球部員にとって、今まで自分を支えてくれた周囲の方々への感謝の念を強くする大会でもあると思いますが、東日本大震災に遭った今年は、いま生きていること、そして野球ができる環境にあること(=当たり前だと思われていたこと)自体を感謝しなければいけないのかもしれません。


今回のポスター画像掲載にあたっては、プロジェクト事務局に掲載希望の趣旨を説明したところ、今回の掲載目的と被写体が被災者であることに鑑み、二次利用が難しいように画像データを小さくすることを前提に許可いただきました。
本当にありがとうございました。
 
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by photomoments | 2011-07-08 07:04 | コラム・随筆 | Comments(14)
2011年 07月 04日
夏の戦いに向けて
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各地で大会組合せが決定し、早いところではすでに戦いの火蓋が切られている夏の大会。
京都と兵庫の組合せを見ながら思案する日々を送っています。
大会前半に合わせて休暇を何日か取るつもりでおり、例年通り京都の観戦を軸に据えますが、兵庫大会も見ておきたいと思います。
ただ、京都はわかさスタジアム(西京極)と太陽が丘はよいのですが、車を持たない私は、宮津球場での試合観戦は交通の面で断念せざるを得ません。
宮津球場にも気になる学校が多く登場し、興味深い対戦もいくつかあるだけに残念ではありますが…。

今年は広島大会に行くことも考えています(まだ未定ですが)。
私の母校の試合を観戦したいというのが最初の動機ですが、未だ見たことのないマツダスタジアムでの試合は撮影者にとって大いに魅力的です。

なお、今回掲載したのは、2007年夏の京都大会 桃山vs山城 からの写真。
ロースコアの試合を制した選手たちが校歌斉唱の後、応援席に向けて駆け出していくシーンです。
夏の大会は悲喜交々。
試合中の好プレーを追いかけるだけでなく、喜ぶシーンも涙にくれるシーンもかけがえのない一瞬だけに、撮り逃しを少しでも減らせるよう、自分も機材も大会に向けて備えておきたいと思います。
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by photomoments | 2011-07-04 00:06 | コラム・随筆 | Comments(11)
2011年 03月 20日
大震災で考えたこと
  3月11日、東北地方を襲った大地震・津波により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、
  被災された地域の皆さま、そして家族の方々に心よりお見舞い申し上げます。
  また、被災地の救援活動・復興活動、福島第一原子力発電所での危険な活動に従事される方々、海外からの救援の方々、本当にありがとうございます。

前回記事で、「少しペースをあげて写真をアップしていきたい」と書きましたが、今回の地震・津波・原子力発電所の複合災害の凄まじさを前に、ブログ記事をアップする気持ちにはなれませんでした。

地震の時、私は自分が担当する建設現場の定例打合せに出席し、打合せをしていたのですが、突然体がだるくなり、妙に頭がフラフラし、熱っぽくなりながら打合せを続けていました。どうも体調が悪いな…と感じつつ1分以上経ったとき、他の出席者が「あれ、揺れてませんか?」と言ったことで、体調が悪く感じた原因が地震なのだと気付きました。
打合せをしていたのはビルの1階にある現場事務所。そんな場所での経験したことのない奇妙な揺れに、「これがいわゆる長周期地震動なのかな?」などと思いながら携帯電話で地震の情報を見て、未曾有の地震が東日本に襲来したことを理解した次第です。

一級建築士として多少なりとも建築にかかわる仕事をしている者としては、地震を耐えた建築物も、土木物の堤防ですら対応できなかった今回の津波にはまったく無力だったことに無常感すらおぼえてしまいます。
私はたまたま、防災先進地といわれる旧・田老町(現・宮古市)で高さ10mの防波堤が建設された経緯を、学生の頃に読んで知っていました(小学校の道徳の教科書か社会科の副読本で読んだ気がするのですが記憶は曖昧です)。三陸の厳しい環境を地域で克服する取り組みに強い印象を覚えたので今でも記憶していました。
そんな備えをも超越し、町を破壊してしまう今回の津波災害…。
正直に言うと、私は津波のことを何もわかっていなかったです。津波襲来の映像を見て初めてその恐ろしさを理解できました。

過酷な状況下で無秩序に陥ることなく避難生活に耐える被災者の方々を称える声が多くあがっていますが、東北の方たちの忍耐強さに私も尊敬の念を抱いています。それと同時に、被災者のために自分が何ら貢献できないことにもどかしさや口惜しさも感じます。
建築士は講習を受けることで、被災した建物の安全性・危険性を判定する応急危険度判定士の資格を得ることができるのですが、その資格の存在を知りながら、それを取る意識が自分になかったことも恥ずかしい。
果たして今できることは何なのか。
さしあたっては義援金くらいしかないと思っていましたが、私がリンクしているブログ"DreamFighter”(しーすさん)のブログ記事を読み、Googleのパーソンファインダーに被災者情報を登録するボランティアがあることを知って、少しお手伝いすることができました。
これからも、少しずつでも継続的に自分にできることを考えていきたいです。

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数年前読んだ本に記されていた一文に私は感銘を受け、いつでも目を通すことができるよう、仕事で持ち歩く手帳にその一文を書き写しています。
司馬遼太郎とドナルド・キーンの共著『日本人と日本文化』で触れられているようで、ネット上でも比較的知られた一文ですが、大正から昭和にかけて駐日フランス大使を務めた、詩人であり外交官でもあるポール・クローデル(Paul-Louis-Charles Claudel, 1868~1955)が、日本が敗色を帯びはじめた1943(昭和18)年の秋、パリで開かれた夜会にポール・ヴァレリーとともに招かれた際のスピーチとされています。

  私がどうしても滅びてほしくないひとつの民族がある。それは日本人だ。
  あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族はほかにない。
  日本の近代における発展、それは大変目覚ましいけれども、私にとっては不思議ではない。
  日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、(明治になって)急に欧米の文化を輸入しても発展したのだ。
  どの民族もこれだけの急な発展を遂げるだけの資格はない。
  しかし、日本にはその資格がある。
  古くから文明を積み上げてきたからこそ、資格があるのだ。

こう述べたクローデルは、最後に一言付け加えた。

  彼らは貧しい。しかし高貴である。

日本文化に造詣が深く、日本に好意的だったとされるポール・クローデルの日本観。
クローデルの考察をしたわけではないですが、ここでいう「高貴」とは、慎ましく礼節を保つ日本人のふるまい・美徳、気高さを指している と思うのです。
駐日大使として関東大震災に遭った彼は、『朝日の中の黒い鳥』に被災者の様子を綴っています。

  地震の日の夜、私が東京と横浜の間を長時間歩いているとき、あるいは生存者たちが群れ集まった巨大な野営地で過ごした数日間、私は不平ひとつ聞かなかった。
  (中略)廃墟の下に埋もれた犠牲者たちの声も「助けてくれ!こっちだ」というような差し迫った呼び声ではなかった。
  「どうぞ、どうぞ、どうぞ、お願いします…」という慎ましい懇願の声だったのである。

被災した困難な状況下で助けを求めるときにも礼節を忘れない日本人の姿に、彼は心打たれたようです。
他の国とは違って際立った暴動や略奪が日本ではあまり起きないこと。それは流言等による騒乱が起きた関東大震災の時以上に秩序のある状態なのかもしれません。戦後の日本人は以前とは変わったと言われがちですが、根本の国民性は案外変わっていないのかもしれません。
とは言え、被災者の忍耐と救援・復興支援活動と対照的に、停電の影響も手伝ってか、オイルショックのときのように一部で買いあさりなどの事象が伝えられています。原子力発電所に関する問題についても同様で、周囲に流されがちでパニック的に反応しやすく、ちょっとした利己に走るのもまた日本人の国民性。それもまた容易には変わらないのかもしれません。
などと記しながら、私も一日本人。東北で被災していたらどうだっただろう?あるいは首都圏で暮らしていたらどう振舞えるのだろう?と思っていますが…。

戦後の復興と経済発展により、貧しい国ではなくなった日本。
豊かになったことはよしとして、今もなお気高い国であるかどうか、仮にクローデルが存命だったとして、被災者だけでなく、現代の日本人全体の様子を見てもなお我々を「高貴である」と評してくれるのかどうか。
それは日本人ひとりひとりのふるまいにかかっているということを、とりわけ私自身に対する戒めとしたいと考えています。

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by photomoments | 2011-03-20 22:18 | コラム・随筆 | Comments(21)
2011年 01月 06日
新聞への写真・記事の寄稿
京都府南部、宇治市・城陽市などを発行エリアとする地域紙に、城南新報がある。
城南新報には少年野球などの記事や、ベースボール倶楽部のたっちゃんさんが執筆した記事を随時掲載したりと、野球関係の記事が充実しているのが大きな特色となっている。
その城南新報の社長さんとは高校野球の撮影を通して知り合いとなったのだが、昨年2月ごろに社長から、翌年元旦号の1面に掲載する写真を撮影してもらえないか とのお話をいただいた。
撮影における条件として、元旦号の1面に掲載する写真は宮中歌会始の御題にちなんだ題材で毎年掲載していて、2011年の御題は「葉」であること、撮影地は新聞発行エリアに限定してほしいこと などが伝えられた。
そのときは面白そうだなぁと思ったことと、取り組み甲斐のあるありがたいお話だと感じたこともあって、少し考えた末にお引き受けした。

ちなみに、前年(2010年)の宮中歌会始の御題は「光」。光がテーマなら被写体は多岐にわたるし、どんなものでも被写体にできるように思えるが、「葉」となると案外難しい。
たとえば、遠くから撮影したら、それは葉というよりも木になってしまうし、ほどほどのスタンスで撮影すると中途半端な写真になる。かといって1枚の葉を単純にクローズアップ撮影しただけではひねりがない。こうしたことはお引き受けした当初から想定できたのだが、実際に撮影してみると予想通り難しい主題だった。
また、依頼を受けた時点ではカラー刷りかどうかも確定しておらず、モノクロ掲載の場合もイメージしながら撮影を行う必要があった。
自分が撮りたいものを撮るのとは異なり、依頼に応える写真を撮るのはある種のプレッシャーが存する。また、野球の撮影やコンサートの撮影のように撮るべき対象が明確なケースとは異なり、大きな漠然としたテーマを撮影結果につなげることも難しいと改めて実感した。

宇治エリアで「葉」といえばお茶 という、ちょっと安直な発想で宇治田原町に足を運び、春まだ早い時期の収穫の様子を拝見したのをスタートに、秋は隔週ペースで大阪から宇治方面に足を運んだ。これまでは太陽が丘球場と平等院界隈しか知らなかったのに、城陽市も散策したし、白山神社のような知らなかったスポットでのんびりした時を過ごしたりもできた。
何度かにわたる撮影行の結果、元旦号に掲載することとなったのは平等院入口で撮影した一枚。
紅葉の季節を迎え、木々が鮮やかな色をみせるなか、常緑樹の植え込みの上に黄色く色づいた一葉のモミジが落ちているのを対比的に狙った何気ない写真である。だがそこで日々新聞を刊行されているスキルが光る。掲載する写真選定の打合せをしているその場でこの写真に、「秋を受け止めた緑の葉が春を待つ」と、上手なコピーをつけていただいた。

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掲載された写真は( EOS-1D MarkIII + EF100mm macro F2.8 USM )にて撮影したもの


それともうひとつ。スポーツ写真の撮影に関する記事を5段抜きで書いてほしいと依頼され、はなはだ僭越とは思ったものの、コラム記事を書かせていただいた。

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十分にスペースはあるようでも字数にすれば2,000字ほど。ごく基本的なことを述べるだけで終わってしまった。
「野球の取材・撮影をしていると、親御さんたちから『絞りやシャッター速度はどのくらいに設定して撮ってるんですか?』と聞かれることが多いので…」という社長の意向を踏まえ、カメラの諸設定について書きたいと思って取りかかったが、きちんとピント合わせを行うことなど、最も基本的な事項について書いていくと字数が足りなくなった。
読む人が読めば、当たり前すぎることしか書いていないと思われるような内容だが、被写体をなるべく大きく捉え、しっかりとピントが合った写真を撮ることが何よりも大切なことだと思うし、それなくして絞りやシャッター速度を云々してもあまり意味がないので、結果的にはよかったのかもしれない。

この記事が読まれた方にとって若干でも参考になる記事となっていれば幸いです。
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by photomoments | 2011-01-06 23:42 | コラム・随筆 | Comments(22)
2011年 01月 01日
明けましておめでとうございます
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( Eos Kiss X3 + EF-S10-22mm F3.5-4.5 USM )


昨年同様、今年も年賀状素材をほぼそのままアップしました。
今回の素材は、昨秋京都市内に竣工したビルの壁面に取り付けられたオブジェを写したものです。
幾何学的要素で構成された金属製のオブジェが斜め上方から射す光に照らされる姿に注連縄のような趣を感じました。

昨年12月は時間の確保が難しかったこともあり、ブログ記事の更新をほとんど行えませんでしたので、これが久々の更新になります。
省みると、昨年はかなり頻繁に高校野球に足を運びました。
今年は昨年のように足しげく高校野球を見るのは難しいかもしれませんが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
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by photomoments | 2011-01-01 00:01 | コラム・随筆 | Comments(24)
2010年 04月 09日
木村拓也「選手」を悼む
絶対聞きたくなかった知らせだった。
巨人の木村拓也選手(私は敢えて選手と書きたい)の訃報は、ここ数日その容態が気掛かりだった私には大きな衝撃だった。

広島生まれの広島育ちの私だから、幼い頃から広島カープのファンだった。
フリーエージェント制度の導入以降顕著になったカープからの選手の「流出」は、広島ファンの私にとっては残念な傾向だったが、広島から阪神に移籍した金本や新井が活躍するのを目にすると、口惜しさと誇らしさが入り交じったある種複雑な感情、「やるじゃん、さすがカープで育った選手だね」といった感情を抱くようになった。

木村拓也選手は、確かな技術で渋く活躍するプレースタイルがなんとも通好みで、カープらしい選手だったと思うし、巨人に移籍してからもきちんと活躍している様子は、「さすが元広島カープの選手」だと、好意的に思っていた。
彼が日本ハムからカープに移籍してきたのは、私があまりプロ野球を見なくなった頃と重なるから、私が彼についてあれこれ語る立場にはないのだが、自分と同い年の選手が(敢えて失礼な言い方をするが)圧倒的に抜きん出た力があるとは思えないのに、並大抵ではない努力でスイッチヒッターになり、またあらゆるポジションをこなせる選手になったことには感嘆するしかない。
そして彼はプロ野球選手として、単なる「便利屋」ではない、ユーティリティプレイヤーとしての完成型の域に達していた。
そのことを広く万人が知ることになったのが、急遽キャッチャーで登場した昨年九月の試合であることに異論はないだろう。
ニュースでこの試合の顛末を見た私は、あまりのかっこよさに胸が熱くなった。
その思いは、「そうか、木村拓也ってキャッチャーもできるんだ!すごいなぁ」といったものではなく、キャッチャー不在というチームの危機に颯爽と登場し、さらっと大事をこなしてしまうことの凄さが、普段会社員として仕事をこなしている我が身に置き換えたときに、到底考えられないことだと思ったからだ。


小さい頃からアンチ巨人の傾向がある私がここ数年の巨人にはあまり抵抗を感じなくなったのは、著名選手を豊富な資金力でかき集める嫌な印象のチームから、生え抜きの若手が活躍するチームへと変わってきたことや、原辰徳監督の野球スタイルへの好印象が理由だと思っていたが、木村拓也選手のような通好みの選手を本当に必要とし、そしてそうした選手が活躍できるチームに変貌していたことも一因だったのだと、訃報を通じて理解できた。


「真のプロフェッショナル」を、余人をもって代えがたい力量と能力を持ち、それを発揮できる選手だとするなら、木村拓也選手は間違いなく真のプロフェッショナルだと思う。
亡くなってから、生前以上にその存在の大きさを実感させる人を挙げろというなら、木村拓也選手は間違いなくその一人だとも思う。

でも、多くの人から広く慕われ、そして惜しまれるべき人であったことを、亡くなったことで皆が知ることになるのだったら、私はまだ知りたくはなかった。
今後優れたコーチとなり、願わくばどこかの(できれば広島の)監督になって、指導者としての業績を通じて知りたかった。
彼はきっと名コーチに、そして名監督になったと思うから。

心から哀悼の意を表したいと思います…。

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自らの努力で、選手として開花した木村拓也選手。指導者としては蕾のまま去ってしまったが、花開く姿を見たかった…。

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by photomoments | 2010-04-09 19:19 | コラム・随筆 | Comments(7)
2010年 01月 01日
あけましておめでとうございます
新年明けましておめでとうございます!

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年賀状の題材をそのままアップしてみました。
大阪市内に建つ綿業会館を正面から撮影した写真です。
昭和6年に完成した綿業会館は、戦争中の空襲にも耐え、現在に至ります。
日本近代建築の傑作としてその価値が認められ、昭和期の建物として重要文化財に指定された数少ない建物のひとつです。

今年も高校野球の記事を中心に、建物などの記事も交えながらのブログになると思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
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by photomoments | 2010-01-01 20:00 | コラム・随筆 | Comments(16)
2009年 04月 22日
初記事:よろしくお願いします。
デジタル一眼レフを担いで、高校野球の試合会場に足を運んで4年目になります。

最初は入門機+Wズームキットを購入し、翌年(2006年)の選抜大会に挑戦したものの、webで見た素晴らしい写真のようには撮れない…。
正直、思い通りの写真が撮れないことに悩みました。
いろいろな試行錯誤や、ネットを通じてお会いすることができた先達の方々からの示唆を踏まえ、
1年弱でメーカーをCANONに変更し、中級機の EOS30D と単焦点レンズ(いわゆるサンヨン)などを購入。
これにより、撮れる写真のクオリティは歴然と上がったものの、AFポイントを外したときのピントの抜けなどは30Dでも防げない…。
となると、さらにこだわりは強くなり、
一昨年(2007年)の秋には、CANONのスポーツ撮影機の最高峰であるEOS 1D MarkIIIと、サンニッパを購入。
「ほぼ」行きつくところまで歩を進めてしまったのかも…。

そんな私のブログですので、高校野球の写真・記事やカメラに関する話題を中心に展開しますが、
本業は建築関係ですので、街撮り・建築写真の記事を織り交ぜることもあると思います。

最初の写真は、初めてのデジイチで撮った、第78回センバツ大会(2006年)から、
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  α SWEET DIGITAL + AF ZOOM 75-300mmF4.5-5.6(D)

今や広島カープの若き右腕エースとなった前田健太投手が、
準々決勝 対秋田商戦で見せたホームスチールのシーンです。
投手でこんなことをやるなんて、彼は野球センスの塊だなぁ と、今でも思います。
この写真だけ見ると、入門機でもまずまずの出来栄えの写真に思えますが、
いいシーンを撮れた!という手ごたえと、写真の出来栄えが両立したのは、ほんの僅かでした。
でも使いやすいカメラだったので、私がスポーツでなく静物・風景を被写体としていたら、長く使っていたかもしれません。

続いての写真は、昨年(2008年)夏の京都府予選から、
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  EOS 1D MarkIII + EF 300mm F2.8L IS USM

(最近は何枚かの写真をチョイスして、フォトフレームのレイアウトにおさめるようにしています)
ボールとバットのインパクトの瞬間が撮れたから「いい写真」というつもりではないのですが、
この瞬間がなかなか捕らえられないのも事実。
年に数万枚撮っても、ほんの数えるほどしかありません。
写真を撮影するからには、こうした決定的な瞬間を目指すのはもちろんですが、
写真を見ていただいた人から、「いい写真だな」と思っていただけるような写真を撮りたいと思っています。

これから、どうぞよろしくお願いします。
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by photomoments | 2009-04-22 21:01 | コラム・随筆 | Comments(4)