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2011年 03月 20日
大震災で考えたこと
  3月11日、東北地方を襲った大地震・津波により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、
  被災された地域の皆さま、そして家族の方々に心よりお見舞い申し上げます。
  また、被災地の救援活動・復興活動、福島第一原子力発電所での危険な活動に従事される方々、海外からの救援の方々、本当にありがとうございます。

前回記事で、「少しペースをあげて写真をアップしていきたい」と書きましたが、今回の地震・津波・原子力発電所の複合災害の凄まじさを前に、ブログ記事をアップする気持ちにはなれませんでした。

地震の時、私は自分が担当する建設現場の定例打合せに出席し、打合せをしていたのですが、突然体がだるくなり、妙に頭がフラフラし、熱っぽくなりながら打合せを続けていました。どうも体調が悪いな…と感じつつ1分以上経ったとき、他の出席者が「あれ、揺れてませんか?」と言ったことで、体調が悪く感じた原因が地震なのだと気付きました。
打合せをしていたのはビルの1階にある現場事務所。そんな場所での経験したことのない奇妙な揺れに、「これがいわゆる長周期地震動なのかな?」などと思いながら携帯電話で地震の情報を見て、未曾有の地震が東日本に襲来したことを理解した次第です。

一級建築士として多少なりとも建築にかかわる仕事をしている者としては、地震を耐えた建築物も、土木物の堤防ですら対応できなかった今回の津波にはまったく無力だったことに無常感すらおぼえてしまいます。
私はたまたま、防災先進地といわれる旧・田老町(現・宮古市)で高さ10mの防波堤が建設された経緯を、学生の頃に読んで知っていました(小学校の道徳の教科書か社会科の副読本で読んだ気がするのですが記憶は曖昧です)。三陸の厳しい環境を地域で克服する取り組みに強い印象を覚えたので今でも記憶していました。
そんな備えをも超越し、町を破壊してしまう今回の津波災害…。
正直に言うと、私は津波のことを何もわかっていなかったです。津波襲来の映像を見て初めてその恐ろしさを理解できました。

過酷な状況下で無秩序に陥ることなく避難生活に耐える被災者の方々を称える声が多くあがっていますが、東北の方たちの忍耐強さに私も尊敬の念を抱いています。それと同時に、被災者のために自分が何ら貢献できないことにもどかしさや口惜しさも感じます。
建築士は講習を受けることで、被災した建物の安全性・危険性を判定する応急危険度判定士の資格を得ることができるのですが、その資格の存在を知りながら、それを取る意識が自分になかったことも恥ずかしい。
果たして今できることは何なのか。
さしあたっては義援金くらいしかないと思っていましたが、私がリンクしているブログ"DreamFighter”(しーすさん)のブログ記事を読み、Googleのパーソンファインダーに被災者情報を登録するボランティアがあることを知って、少しお手伝いすることができました。
これからも、少しずつでも継続的に自分にできることを考えていきたいです。

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数年前読んだ本に記されていた一文に私は感銘を受け、いつでも目を通すことができるよう、仕事で持ち歩く手帳にその一文を書き写しています。
司馬遼太郎とドナルド・キーンの共著『日本人と日本文化』で触れられているようで、ネット上でも比較的知られた一文ですが、大正から昭和にかけて駐日フランス大使を務めた、詩人であり外交官でもあるポール・クローデル(Paul-Louis-Charles Claudel, 1868~1955)が、日本が敗色を帯びはじめた1943(昭和18)年の秋、パリで開かれた夜会にポール・ヴァレリーとともに招かれた際のスピーチとされています。

  私がどうしても滅びてほしくないひとつの民族がある。それは日本人だ。
  あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族はほかにない。
  日本の近代における発展、それは大変目覚ましいけれども、私にとっては不思議ではない。
  日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、(明治になって)急に欧米の文化を輸入しても発展したのだ。
  どの民族もこれだけの急な発展を遂げるだけの資格はない。
  しかし、日本にはその資格がある。
  古くから文明を積み上げてきたからこそ、資格があるのだ。

こう述べたクローデルは、最後に一言付け加えた。

  彼らは貧しい。しかし高貴である。

日本文化に造詣が深く、日本に好意的だったとされるポール・クローデルの日本観。
クローデルの考察をしたわけではないですが、ここでいう「高貴」とは、慎ましく礼節を保つ日本人のふるまい・美徳、気高さを指している と思うのです。
駐日大使として関東大震災に遭った彼は、『朝日の中の黒い鳥』に被災者の様子を綴っています。

  地震の日の夜、私が東京と横浜の間を長時間歩いているとき、あるいは生存者たちが群れ集まった巨大な野営地で過ごした数日間、私は不平ひとつ聞かなかった。
  (中略)廃墟の下に埋もれた犠牲者たちの声も「助けてくれ!こっちだ」というような差し迫った呼び声ではなかった。
  「どうぞ、どうぞ、どうぞ、お願いします…」という慎ましい懇願の声だったのである。

被災した困難な状況下で助けを求めるときにも礼節を忘れない日本人の姿に、彼は心打たれたようです。
他の国とは違って際立った暴動や略奪が日本ではあまり起きないこと。それは流言等による騒乱が起きた関東大震災の時以上に秩序のある状態なのかもしれません。戦後の日本人は以前とは変わったと言われがちですが、根本の国民性は案外変わっていないのかもしれません。
とは言え、被災者の忍耐と救援・復興支援活動と対照的に、停電の影響も手伝ってか、オイルショックのときのように一部で買いあさりなどの事象が伝えられています。原子力発電所に関する問題についても同様で、周囲に流されがちでパニック的に反応しやすく、ちょっとした利己に走るのもまた日本人の国民性。それもまた容易には変わらないのかもしれません。
などと記しながら、私も一日本人。東北で被災していたらどうだっただろう?あるいは首都圏で暮らしていたらどう振舞えるのだろう?と思っていますが…。

戦後の復興と経済発展により、貧しい国ではなくなった日本。
豊かになったことはよしとして、今もなお気高い国であるかどうか、仮にクローデルが存命だったとして、被災者だけでなく、現代の日本人全体の様子を見てもなお我々を「高貴である」と評してくれるのかどうか。
それは日本人ひとりひとりのふるまいにかかっているということを、とりわけ私自身に対する戒めとしたいと考えています。

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by photomoments | 2011-03-20 22:18 | コラム・随筆 | Comments(21)
2011年 03月 09日
龍谷大平安 OB戦-6
ようやく私の仕事もひと段落し、なかなか捗らなかった龍谷大平安OB戦の写真セレクトも完了しました。
これから少しペースをあげて写真をアップしていきたいと思います。

第1試合が終わり、第2試合が始まる前に、平安野球部出身のシンガーソングライター 佐々木 清次さんから野球部の後輩たちに歌のプレゼントがあった。

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佐々木清次さんの歌。京都の高校野球関係者なら、昨シーズンの公式戦で5回終了時のグラウンド整備中に球場内に流れる「負けてたまるか」を耳にしたことがあるだろう。
午後の陽光を浴びながら熱唱する佐々木さんの姿を、側方から斜光線を活かした撮影で浮かび上がらせたいと思った。
凛としたグラウンドに響く佐々木さんの歌声に、思わず撮影の手を止めて聞き入ることしきりだった。

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私にとって、(野球に限らず)人が輝いている瞬間を撮影できることのありがたさを思い起こさせてくれる一連の写真です。

今回の写真の掲載に対して、佐々木清次さんから快諾いただきました。本当にありがとうございました!
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by photomoments | 2011-03-09 06:53 | 高校野球:練習訪問 | Comments(8)